貧しくて設備が確保出来ない場合にはこれはどうしようもありません。
鼓動を維持する為に多くの人を犠牲にする、それもまた考えものです。
そのような観点からして私はその環境の中で鼓動を維持する大切さ、鼓動の大事さは説きますが極限の状況では是是非で良いのではないかと主張します。
しかしその鼓動「滅せぬ者のあるべきか・・」と言われ、いずれ止まる宿命を帯びています。
人生とは何んぞやと聞かれると、私は即座に己の鼓動を思った通りに使うのが人生である、と答える。
流れのままに生きたのか己の思った通り、鼓動を使い切ったか、それこそが幸せの度合いと言えるのではないだろうか。
貴方の鼓動は親だとて止められません、誰にも止められません。
そしてその鼓動の使い方はまた、貴方しか決められません。
周りに流され、浮き草のような人生では心もとない話です。
またそこで重要な役割を果たすのが脳です。
自論ですが人其々の脳みそはおそらく酵母の様なものであるのではないかと考え、酵母論を展開します。
理系の強い酵母なのか、文系に強い酵母なのか或いは芸術に長けた酵母なのか色々あるのではないかと考えます。
中には理系、文系、芸術、何事をやらせても非常に良い結果を残すバランスの取れた酵母の持ち主もいるのではないかと考えます。
脳みそ自体を畑に例えれば、何種類かの酵母の種を蒔いても、芸術ならその分野の種が他の種より育ちがいい。
土質ならぬ脳質が育ち良い畑と言えるのではないか。
絵画や書道、音楽や文学など、血統と思えるような現象は皆さんも感じているかと思います。
己の人生航路計画、まずは己の脳内酵母がどのような類の酵母であるのか、己を知るとは酵母菌、脳質を悟る事、
見極める事が一番大事ではないかと思います。
学生の頃何をやらせても素晴らしい成績で、なおかつスポーツ万能なんていう人間がいるものだ
将来的にもリーダーとして素晴らしい活躍をするだろうと予測された人間が10年20年経って見ると大した事はなく、
もしろ成績が悪かったはずの人間が立派なリーダーに成っている場合がある。
万能な人間は世間に出ても普通に何でもこなす、いわゆる器用貧乏になってしまうのだ。
かたや成績の悪かったやつは自分に何か取り得がないものか、
一生懸命考え、自分なりの自分に合った道を選択肢する結果、10年20年経つと成績の悪かったはずの人間が
立派な人間に成っているという事がある。
そういう点からしても私の主張する脳内酵母論、試しに検討してみても良いのではないだろうかという事である。
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