片やゴキブリ娘はとうとう両親も他界し、今でも一人で相も変わらず奇声を発しているそうだ。
そしてその家は名実ともにゴキブリだらけ、ゴキブリ館と呼ばれているそうだ。
人生全てゴキブリとの格闘、神から授かった子宮は一度も使われず南端小島で墓場行き。
人生とは何か、と考えさせられます。
あだ名は体を表すのかな・・・・・
島ではその人の特徴を捕え、ユニークで覚えやすいあだ名を付けて呼ぶ習慣があった.
ひかるが生まれた当時、母は戦争最中の食糧難の小島、乳が出ない為ヤギの乳を飲ませ育てた。
ひかるの神様はヒツジ歳だが、ヤギである。
のちに牛の乳を飲ませる習慣が入ってきた。
島で女の赤ちゃんが生まれ、不幸にも母親が亡くなってしまった。
島の人は見た事もなかったが、初めてその子に牛の乳を飲ませて育てた。
女の子だったが島の人達はその子の事を、牛の乳で育ったので牛若丸とあだ名を付けて呼んだ。
女牛若丸誕生だ!
そのうち子供が生まれると次々と牛の乳を飲ませて育てるようになり、結果的に島牛若丸が次々と誕生したのである。
名前を呼ぶのに牛若丸五号、牛若丸六号、なんて事になり、このあだ名は不都合が生じ封印されてしまったが、最初の子は元祖・女牛若丸と呼ばれた。
島には川は勿論、水溜まりも橋も欄干もない。
牛若丸はピョンピョンどこを跳ねていたんだろうか。
石垣を跳ね飛んでいたのだろうか。
石垣を飛び交う牛若丸・・・絵になるなあ~
子供は島で育つと年頃に島を飛び立っていく。
女牛若丸は飛び跳ね過ぎたのだろうか。アメリカへ渡って現地で結婚。女の子二人をもうけた。
娘が大学の卒論にと自分のルーツを求め島を訪れた。やはり顔は女牛若丸、母親そっくり。
島ではその日のうちに伝令が走った。
女牛若丸が島に舞い戻ったぞーと。
当の本人は何んで自分が牛若丸なのかチンプンカンプン。
娘はアメリカと日本の架け橋たらんと東北へ赴き、震災後の復興に取り組む。
アメリカからのボランティア受け入れ窓口として日本語英語で活躍しているとの事です。
日米の架け橋の欄干で女牛若丸はぴょんぴょん跳び跳ねていた。
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