c1086 ノーベル賞


日本の映像技術の原点にはノーベル賞が絡んでいた。
当時CCD搭載カメラとオメガ方式VTR。BVH-500の電源にリチューイオンBP-90バッテリーが使われアメリカでは想像不可能。
デジタル先進国アメリカがどうしても日本に勝てなかった訳である。
更にビデオ編集にはとんでもないアイディアが組み込まれていく。
電車の線路と枕木、スピード串刺しが編集に使われたのだ。
線路を見て分かると思うが等間隔に枕木がある。
ビデオで言うとその枕木がワンフレームという事だ。
一秒間に30フレームだが枕木が30個あると思えば良い。
ねるとん求婚番組ではロケカメラ VTRを常時四チエーン使っていた。
30分テープを装着し同時スタート、ガチンコ映像を4台とも入れ止めない状態でそのまま30分間4台のカメラVTRが動き回って収録。
これでワンロール終了、ツーロール、スリーロールも同様にして収録していく。
編集時に、再生に4台、収録に1台、計5台を用意しVTR映像を列車に見立て、5台共真横から串刺しに固定、回転をロックする。
もちろん枕木、いわゆるタイムコードも横一列にロックさせる。
ガチンコ映像をそろえ、串刺しにした映像列車を同時にスタートさせ、記録されている4台の映像を5代目の編集テープに平行移動していくのだ。
再度ガチンコの映像に戻しスタートさせ、編集テープに黒味があれば埋めていけばいい。
モニターは大きめのモニターを4分割し再生映像4台の画を5台目の編集VTRへ嵌め込んで行く。
上に編集用のモニターを乗っけておけば、編集が今迄の編集では考えられない、とんでもないスピードで簡単に出来る。
勿論、今では線路を5本6本なんて言わずに30本50本なんて発想も出来る。
ひかるは世界初のVTR編集センターを稼働させたがその原点は上記の電車と枕木、串刺しの発想が40年前に有ったのだ。
日本の映像王国には編集面で革新的な知恵が使われました。
映像クリエイターやユーチューバー等の分野を目指す人は参考にして下さい。
技術的な事はソニーとリンクし、VTRと編集システムを同時に発売すると飛ぶように売れ、必然的に日本の放送VTR方式、ひいては世界のVTRが日本のオメガ方式VTRで独占された。
ひかるは当時、150人の部下を抱え、ドラマや音楽番組、スポーツやバラエティー、海外ロケから水中撮影、カメラや音響、照明などのスタッフ手配、番組内容把握、目の回る忙しさだが、それと並行して、編集システムの開発だ。
連日連夜、仮眠状態である。
そして編集システムが完成した頃、東宝から連絡があり、昼のメロドラマを日本製一インチVTRで制作し、放送しようとの話が持ち込まれた。
東宝、フジテレビ、ひかるによるプロジェクトが始動したのである。
もちろん、バックには、ソニーとひかるの連係プレーがしっかり出来ている。
世界初、一インチ編集システム、一インチVTR帯ドラマの放送が実現したのである。
その間、ひかるの行動は、死闘の二乗と言えるだろう。
昭和54年、1月から放送された昼メロVTR帯ドラマ{津軽海冬景色}は、世界初一インチ収録編集、業界に衝撃を与えた。

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