テリー伊藤君の若き頃を書いてみよう。
彼は学生運動の火炎ビンで斜視になった、と他のブログで書いてあったので書くが、卒業直後タケシの元気が出るテレビのディレクターだった。
勿論番組作りは初めてで、ロケの技術を受注したのがひかる。
スタート時、テリーはあまりにも番組作りを知らな過ぎる。
番組にならない、とスタッフが総スカン、立ち往生してしまったのである。
Mカメラマンにはゴールデン番組なので決して手を抜かないよう指示はしていたが、とうとう彼ですら限界を超えた。
残るはひかるがロケ総責任者として一括すべし、との事になり会うことになった。
会ってびっくり、彼は童顔でどう見ても学生アルバイトではないのか、いかに雨傘番組とて、と思わせる状況。
更に火炎ビン事件直後なので、斜視があまりにもひどかった。
そして赤面、猿が温泉で真っ赤な顔をしている状態。
更にどもりのひどさ、どどど・・もも・・・り・・と言う感じで、唇の両端には白い泡だ。
ひかるも人前でのしゃべりが苦手で、一括どころか、目の前のあまりの出来事に、つい同情の念が先立ち呆然と忘れてしまった程である。
彼の学生時代の同僚なら、なるほど分かると言うはずだ。
今の彼からはまったく想像出来ない。
静かに耳を澄ませ聞くと、言っていることに理はある。この男を潰す訳にはいかない、ホローしようと、感じたのである。
ひかるは当時、東芝、日電、ソニー、池上通信機など国産ロケ用カメラ、レンズはキヤノン、フジノン、音響はワイヤレスの開発などかけずり回っていた時期だ。
テリーは技術がついて来ない旨を言っているが、一番ひかるがロケ機材、カメラ本体やバッテリーやレンズ、VTR等、開発を急ぐべく、メーカー特機部門を駆けずり回っていた時期、ひかるは一括どころか何一つしゃべらずに帰った。
小児麻痺の妹、アメリカ統治下の小島、障害者を抱える一家の悲惨は身に染みている。
斜視があまりにもひどいテリーはどう考えても障害者に見え、ひかるは切り捨てる訳にはいかなかった。
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