z1059 母は母


母は晩年、アルツハイマーとなりました。
上京させるべく父を説得するにも、「母の面倒は自分が見る」の一点張り。
やむなく、石垣島の療養施設へ入所させました。
アルツハイマー特有のものなのか、白衣の医者や看護婦、薬を極端に拒んだとの事ですが、東京のひかるの所へ行けるんだ、と言うと、素直に病院や薬も受け入れ、見知らぬ人を捕まえ、東京のひかるの所へ行くんだと口走っていたとの事。
日増しに容体が悪化しているとの連絡に帰郷。
しかし、あれだけ待ち望んだ対面は、まさかと思われる再会となってしまいました。
既に息子ひかるの面影は、母の記憶の領域に跡形も無くなっていたのです。
お母さん、帰って来たぞ! ひかるだぞ!と声をかけるにも後ずさりをし、部屋の隅へ逃げ、脅えて睨む拒否する眼差し。
妖気すら漂う、一度も見た事のない視線でした。
ひかるが帰って来たんだぞ、と近寄れば近寄る程、恐怖の色は濃くなるばかり。
何んで、息子を怖がるんだ!
何んでこうなってしまったんだ!
辛い時、孤独な時、何時も優しい母を思い出し、例え落ちぶれた姿でも、温かい眼差しで迎え入れてくれる。
どんな時でも母にだけは信じてもらえる、という心の拠り所があったからこそ、今まで頑張って来れた筈なのに・・・
元気な姿を見せ、喜ぶ顔が見たくて頑張って来れたのに・・・
子供の頃、怒られもしました。叩かれもしました。しかし常に温かく見守る眼差しが有り、愛が有りました。
命有る限り、我が身に限って、母の愛が閉ざされるなんて・・
まさかこのような親子の再会に成るとは、一度も想像しなかった・・
夢だに見なかった・・
母の元、一つ屋根の下で生活出来たのは15歳迄。
人間、いくつになっても母は母。
もっともっと甘え「お母さん」といっぱい呼んでやりたかったのに・・
話したい事が、背負い切れない程、沢山有るのに・・
母の事を思い出さない日は、一日たりとて無かった。
母とて一日たりとも忘れなかっただろうに・・・
会える日を一日千秋の思いで待ち続けた母子。
何んで無情にも鉄の扉が降りてしまったのだろうか。
子供達との離別生活、会いたい一心が高じ、アルツハイマーに成ったのだろうか。
待たせ過ぎた! 許してくれ・・・
母の為、何一つしてやれなかった、喜ばせてやれなかった悔しさに、懺悔の波は押し寄せ、断腸の思いに唖然と立ちすくむだけでした。
母子の心さえ通わせられないアルツハイマーの怖さ。
これ程辛くて、寂しい世界があるだろうか・・
母の好物を思う存分食べさせると、脅えが和らぎ、手を握れるようになりました。
そして足腰の弱った母を背負い、散歩に出た時、あまりの軽さにつんのめり三歩歩んで立ち止まる。
ランドセルの重さにしか感じられません。
全ての記憶を失った母に心は通じず、長き別離を償う無言の歩み・・
南国の陽射に汗ばむ背中。
涙は止めどなく、踏み出す影へ、七つ・・八つ・・・・
海を見下ろす丘の上、洗剤の如く押し寄せる白いさざ波。
波の足音は、ザザザーサー、ザザザーサーと浸み、身や心、砂浜までも洗い清めて行きます。
はるばる長い旅路を渡って来たのだろうか、風は優しくすれ違い「風の渡り来る南、生まれ育った島、我が家があるんだぞ、風の行く先、東京があるんだぞ」と語りかけると、心が通じたのだろうか。
母は何時迄も、生まれ育った南の空をじーっと見つめ、他を向こうとはしません。
懐かしい古里、遠い昔の事を思い出しているのだろうか。
首に抱き付く、か弱い両手にこもる力、島を手繰り寄せているのです。
大きくあえぎ、高まる息遣い、首筋に二つ、熱く伝わる母の涙。
翌年、死に水も取れない、心を通わせる事すら出来なかった、永遠の別れとなり、生涯、ぬぐう事叶わず、消す事の出来ない、涙を背負い続ける人生と成ってしまいました。
・・親不孝 詫びる息子の 背に涙・・

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