やはり数年もの間、その一言が、忘れられなかったのでしょう。
「障害者が免許を取得する場合、東京都には奨励制度があるし、大丈夫だ」と説得すると、長期休暇が取れそうにもない、との事。
会社の方には、兄からお願いしよう。長年働き、休暇の目的もはっきりしている事だし、理解してもらえるはずだと。
妹は最後に、全ての段取りは、自分一人でやってみる、と言って納得しました。
数ヶ月後、「取れた! 免許が取れた!」と、弾んだ声で連絡があり、祝ってやりました。
よほど嬉しかったのでしょう。
無口で必要な事以外はしゃべらない、兄にすら一度も笑顔を見せなかった妹が、車庫入れで失敗した事や、S字カーブで踏み外した事など、笑顔でしゃべりまくっており、30年以上も背負って来た何かが吹っ切れた様子。
このきっかけが自信となり、妹の人生は大きく展開していきました。
車を購入、地方出身の同僚達と、お盆やお正月に友人の田舎へ同行。
色々な土地や人との出会いや、見聞あり。
車が本当の足代わりとなり、あっという間に、日本全国が行動範囲になったのです。
やっと走り回れる3歳時、「兄ちゃん、遊んでくれ」と、追いかけていた姿が、思い出されます。
突然、引き付けを起こす程の高熱にうなされ発病。
妹は自分の2本の足で、元気に歩いた記憶は無いでしょう。
小さな島には松葉杖とてなく、竹すらありません。
まっすぐな木を与えると、船の櫂を漕ぐようについて、「兄ちゃん、遊んでくれ」と、追いかけて来るようになりました。
負けず嫌いで意地っ張りな性格、擦り傷やアザだらけになりながらも、右手で自転車のサドルにしがみ付き、左手でハンドルを操作。
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